宇部市渡辺翁記念会館
概要
クレジット(写真):(C)宇部市
写真提供・解説文の作成協力:宇部市(宇部市役所、一般財団法人 宇部市文化創造財団、一般社団法人宇部観光コンベンション協会)
写真の使用許諾権:地ムービー
• 建築名:宇部市渡辺翁記念会館
• 所在地:山口県宇部市朝日町8番1号
・建築主:渡辺翁記念事業委員会
• 設計:村野藤吾
• 施工:杉村組
• 竣工年:1937年4月
• 建築面積:2,076㎡(竣工時)、2,629m2(改修)
• 延床面積:3,797㎡(竣工時)、4,582m2(改修)
• 構造規模:鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、鉄筋コンクリート造及び鉄骨鉄筋コンクリート造、東面テラス附属
• 建材:塩焼タイル(外壁)、大理石(ホワイエ)
• 指定:重要文化財(2005年12月27日)
• 交通:JR宇部線 宇部新川駅徒歩3分
• 備考:見学希望は、要予約(宇部市文化会館:0836-31-7373) 平日の9時~17時(土・日・祝は原則不可)
建築の概要
【写真解説】外観:ゆるやかに湾曲する濃茶色のどっしりとした重量感のある壁面と6本のコンクリート打ち放し列柱の対比は、当時の日本建築界に新鮮な衝撃を与えました。
宇部市渡辺翁記念会館は、宇部市の中心部に位置し、昭和初期の重厚かつ歴史的建築美を今に伝える文化施設です。宇部市発展の礎となった渡辺祐策翁の遺徳を記念し、翁の関係した事業各社7社の寄付を得て建築家・村野藤吾氏の設計により建造されたものです。
【写真解説】模型
曲線流美な飛行機型の平面を有し、骨格豪壮容姿端麗な堂々たる殿堂で、1937年(昭和12年)に70万円の巨費を投じで建造されました。
【写真解説】記念室
音響効果の優れたホールとして、来日する世界的音楽家の公演も数多く行われ高い評価を得ています。2005年12月、意匠的に優秀で歴史的価値の高い建造物として、国の重要文化財に指定されています。
建築の構造と特徴
【写真解説】外観(正面)
宇部市渡辺翁記念会館は,宇部の発展に貢献した渡辺祐策翁を顕彰するため,1937年に建てられました。設計は村野藤吾です。鉄筋コンクリート造(会堂部は鉄骨鉄筋コンクリート造)、一部地下室付の地上三階建です。会館前面には広大なテラスを設け,記念碑と記念柱(翁の関係した事業各社7社を象徴)が立てられています。 平面は,ホール部・会堂部・舞台部から成り、いわゆる「飛行機型」となっています。外観正面は曲率を変えた三つの壁面によりダイナミックに構成されています。
【写真解説】正面入口
日本建築界では、「近代建築として日本で初めて、モニュメンタルな表現を完成している。」と評価されています。
宇部市渡辺翁記念会館は,建築家村野藤吾の戦前における集大成作品といえます。表現派の系譜をひくモダニズム建築の代表作であるとともに、日本近代建築のひとつの到達点を示す作品として重要です。
設計のエピソード
渡辺翁記念会館は、建築家・村野藤吾(1891~1984年)抜きに語ることはできません。彼自身、記念会館は「私の出世作」と話しています。93歳で亡くなる直前まで、旺盛な創造力で建築の最前線にいた村野は、今でも多数の設計作品が全国に残り、高い評価を得ています。
【写真解説】1階ホワイエ:大理石貼りの円柱、白・茶色の市松模様テラゾーの床面。円柱の天井と接する部分は同心円状に鮮やかなグラデーションで塗られています。
村野藤吾が記念会館の設計を担当したきっかけは、大阪のそごう百貨店の鉄骨部門を請け負った松尾橋梁株式会社の松尾社長が、記念事業委員会の一人、俵田明(沖ノ山炭鉱社長、後の宇部興産株式会社社長)に村野を推薦したことが始まりです。
【写真解説】2階ホワイエ
全面的に設計を任された村野は、生来の資質を存分に発揮し、近代建築史に名をとどめる会館を作りあげました。後年、村野は「本当に忘れ難い恩人です」と、俵田に感謝の言葉を述べています。
施工のエピソード
1937年の竣工後、記念会館は二度の改修工事が行われています。1958年には舞台裏に機械室を増築し、空調設備が完備されています。屋上に鉄骨を組み、銅板で覆った屋根の間にダクトを配したほか、客席両側に側廊が設置されました。側廊は最初の設計図面にはありましたが、事情により外されていたもので、周囲の音が直にホールに入る欠陥の補正と、来場者の利便性を確保するため、新設されています。1975年には、舞台間口・袖を広げ、あわせて舞台音響・照明・吊物設備、空調設備、客席椅子等が更新されています。
【写真解説】オーディトリアム(舞台):舞台の出隅を曲面で処理しています。
二度の改修工事にかかわらず、築後50年が経つと、建物全体の痛みが進み、抜本的な改修工事が急務となりました。宇部市は、近代建築における記念会館の歴史的価値と文化遺産の役割を考慮し、大改修工事に踏み出しています。1991年度に実施した強度調査では、コンクリート等の状況が「予期以上に健全であった」と報告されています。 村野藤吾は、当時の現場を振り返って「渡辺翁の記念会館ということで、無償で提供をうけた建築資材も多かったのでは」と語っています。
【写真解説】2階ロビー、ガラスブロックからの採光。
実質の改修工事は、1992年10月から1994年3月にかけて行われました。記念公園の整備を含めた総工費は約22億円です。
【写真解説】壁面タイル(竣工時は塩焼きタイル、リニューアルでは還元焼成タイルを採用。)
記念会館のリニューアルに際し、課題になったのは壁面タイルの張替えです。というのは、外観のタイルは、色調において高い評価を得ていたからです。時間の推移とともに紫系統に変化するこのタイルは、塩焼きタイル(焼くときに塩水を利用する)と呼ばれ、現在は公害問題から製造中止になっています。同タイルは製作できないため、極力塩焼きの色合いに近づくよう数回の試験焼きを繰り返し、結果として還元焼成タイルが採用されています。
【写真解説】壁面タイル(使用可能な塩焼きタイル約3千枚は建物の側面部や後部に回されています。)
正面の約2万枚のタイルはすべて張替え、使用可能な約3千枚は建物の側面部や後部に回されています。壁面の突起部分は、改修前にすべて写真に収め、同じ箇所に再現されています。
【写真解説】オーディトリアム(観客席):新たにデザインされた藤色の椅子。
建築主体の改修工事では、構造の根幹的な部分には手を加えていません。ただし、客席については、すべての椅子間隔を広げるため、2階については段床部分が再構築されています。2階は、支柱なしで後部壁面から約10メートル突き出ており、鉄筋の状態を確認しながら、細心の注意で段床の改造工事が進められました。その結果、1階2階合わせて、座席数は1,450席から1,353席に減少しています。座席は、新たにデザインされた藤色の椅子に取り替えられています。なお、会館の北側奥に倉庫を兼ねたリハーサル棟が増築されています。
設備のエピソード
宇部市が、平成20年度電源立地地域対策交付金(経済産業省)を活用して、宇部市渡辺翁記念会館舞台装置を改修しています。(2008年11月~2009年3月)。この工事により、舞台装置の巻上げ機5台ほかを改修し、会館利用者の利便性や施設の円滑な施設運営の一層の向上が実現されています。 舞台音響は、最新の音響調整卓の導入、アンプ・スピーカーの機能向上、マイク回線等の充実を行い、舞台照明は、記憶可能な調光操作卓の導入、昇降装置付のシーリングライトの採用等で一層の利便性が図られています。
【写真解説】1階ホワイエ(ロビー)、新たにデザインされた照明器具。
1・2階のロビーについては、照明不足と器具の老朽化による止むを得ない措置で、照明器具のデザインを新しくしています。
【写真解説】2階ホワイエ(ロビー)への大階段。
階段等の他の照明器具は、同じデザインで復元したものです。
建築のディテール
【写真解説】ディテール:ガラスブロックがはまったダンベル型のトップライト。(2階ロビーへの大階段の天井)
【写真解説】ディテール:正面玄関外側にある照明器具(1階)、細部まで造形的処理がされている。
【写真解説】ディテール:2階ロビーへ続く大階段付近にある照明器具(2階)、華やいだ演出がある。
【写真解説】ディテール:舞台両端にある大臣柱(1階)
【写真解説】ディテール:1階から地下に降りる階段の両脇にある大理石壁画図。モダニズム建築の絵。象嵌(ぞうがん)加工で、未来の宇部市を石で描いたものです。(ロビーから地下に降りる階段の脇))
【写真解説】ディテール:1階、細部まで装飾をしています。
【写真解説】ディテール:記念室へ繋がる裏階段。3次元のオブジェのようになっています。
建築の受賞歴
【写真解説】ガラスブロックで囲まれた窓。(2階ロビー)
1995年5月、BELCA賞(ロングライフ・ビルディング部門)受賞、1999年8月、一般社団法人日本建築学会選定「日本におけるモダン・ムーブメント20選」に選ばれています。さらに、1997年6月、国の登録有形文化財に登録ののち、2005年12月には国の重要文化財に指定され、また、2007年11月には、「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」にも認定されています。
※「ベルカ賞」:1976年と1993年に大改修が行われましたが、長年にわたる適切な維持保全が評価され、1995年に、社団法人建築設備維持保全推進協会(BELCA)から、BELCA賞(ロングライフ・ビルディング部門)を受賞しています。
※「モダン・ムーブメント20選」:1999年8月には、国際組織ドコモモ(DOCOMOMO)の依頼を受けた社団法人日本建築学会により、「線や面を組み合わせた美学の適用」、「当時の多くの建築物の中で、音楽ホールを代表する建物」等の理由で、『国内のモダン・ムーブメントを象徴する現存例20件』の1つに選定されています。モダンムーブメントは、20世紀の建築の主要な潮流の一つで、18、19世紀に端を発する合理的・社会改革的な思想や技術革新をベースに、1920~30年代に西ヨーロッパで明確な形を取り、線や面の構成による美学に基づいて、1940年代から世界中で造られ始めた建築です。
※「国指定重要文化財」:2005年12月、「郷土史において象徴的な意味を持つ建築物である」「設計において、昭和を代表する建築家村野藤吾氏の戦前における集大成作品で、日本近代建築の一つの到達点を示す作品である」「音楽ホールとして卓越した音響効果を有する」ことから国の重要文化財の指定を受けています。
※「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」:2007年11月、経済産業省「近代化産業遺産群33」の「産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一つとして認定されています。
地域ばなし
宇部市渡辺翁記念会館の縁で、村野藤吾設計の建造物が続々と宇部市に誕生しています。1939年から1953年までの間に、宇部銀行(現旧宇部銀行館)、宇部窒素工業(現宇部興産ケミカル工場事務所)、宇部油化工業(現協和発酵)、宇部興産中央研究所、宇部興産事務所が完成しました。短い八幡製鉄の勤務期間から、身をもって苦しい工場生活を体験した村野は、「工場も美術建築である」との信念を持っていました。そこに人間がいる以上、美術建築であるべきと考えた村野の建築理念は、宇部市渡辺翁記念会館の細部の意匠にもよく現れています。
【写真解説】玄関脇にある労働者のレリーフ
1979年竣工の宇部市文化会館に続き、1983年竣工の宇部興産ビルが、本市での最後の仕事になりました。他にも、宇部図書館、宇部商工会議所、宇部鉱業会館等、日の目を見なかった建設計画が、大阪の村野・森建築事務所に保管されています。これらの関係資料から、宇部市にことのほか愛着を感じた、村野藤吾の思いを伺い知ることができます。
過去にロケ撮影のあった映画
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」通常版
Blu-ray&DVD発売中
発売元:小学館/販売元:バップ
(c)2007 「ALWAYS 続・三丁目の夕日」製作委員会
地ムービー(WEB版):作品紹介ページ
映画撮影でのエピソード
【写真解説】玄関(劇中では、玄関廻りは映画看板(石原裕次郎主演の映画「嵐を呼ぶ男」等)で飾られています。)
玄関を、昭和30年代の銀座の映画館入口に見立て、立ち並ぶ観客の撮影が行われています。宇部市民約370人がエキストラ等として参加しています。昭和30年代には、自動ドアはありませんでした。本作品でロケーション撮影が行われたのは、正面玄関に自動ドアがない事によります。
地図
宇部市渡辺翁記念会館 |
宇部市渡辺翁記念会館 |