モリコーネ 映画が恋した音楽家

ローマ(イタリア)、ロサンゼルス、ニューヨーク(アメリカ)、ロンドン(イギリス)、パリ(フランス)

作品概要

©2021 Piano b produzioni,gaga,potemkino,terras

『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督がマエストロの葛藤と栄光に迫る。芸術の深淵を見た彼が、カメラの前で最後に語ったこととは――?

2020年7月、世界は類稀なる才能を失った。エンニオ・モリコーネ、享年91歳。
1961年以来、500作品以上という驚異的な数の映画とTV作品の音楽を手掛け、アカデミー賞®には6度ノミネートされ『ヘイトフル・エイト』(15)で受賞し、2006年にはその全功績を称える名誉賞にも輝いた。

そんな伝説のマエストロに、弟子であり親友でもある、『ニュー・シネマ・パラダイス』『鑑定士と顔のない依頼人』のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、5年以上にわたる密着取材を敢行。結果として、生前の姿を捉える最後の作品となってしまった、ドキュメンタリー映画を完成させた。

スクリーンの中では、モリコーネ自らが自身の半生を回想、かつては映画音楽の芸術的地位が低かったため、幾度もこの仕事をやめようとしたという衝撃の事実を告白する。クラシック音楽の道へ進まなかった葛藤と向き合いながら、いかにして音楽家としての誇りを手にするに至ったかが、数多の懐かしい傑作の名場面と、ワールドコンサートツアーの心揺さぶる演奏と共に紐解かれていく。

さらに、名前を見ただけで息をのむ70人以上の著名人のインタビューによって、モリコーネの仕事術の秘密が明かされる。

生まれ持った才能と閃き、貧しかったために働きながら通った音楽院での地道な努力、新しいムーブメントを取り入れる柔軟なセンス、信念に反することは断固拒否するプライドについてのエピソードによって、モリコーネの人生そのものが偉業であったことが証明されていく。 同時に、初公開となるプライベートな映像が、奇才のチャーミングな人間性と妻への美しい愛を浮き彫りにする。

「ジュゼッペ以外はダメだ」と、モリコーネ自身が本作の監督に指名したトルナトーレの前だからこそ、最後に口にした芸術の深淵を見た者の言葉とは─?

今も、そしてこれからも、モリコーネのメロディを聴くだけで、あの日、あの映画に胸が高鳴り涙した瞬間が蘇る。同じ時代を生きた私たちの人生を豊かに彩ってくれたマエストロに感謝を捧げる、愛と幸福に満ちた音楽ドキュメンタリー。

2023年1月13日公開
上映館案内

 

ストーリー

  

世界的な名声を手にしたマエストロの一日は、驚くほど“地道”な作業で幕を開ける。ただ黙々と、ルーティーンのストレッチをこなすのだ。幼かったモリコーネを音楽へ導いたのは、トランペット奏者の父親だっ た。父が決めた音楽院に入学するが、病に伏した父の代わりにナイトクラブでの演奏で家計を 助けることになるなど、苦労の多い青年時代を送る。当時のモリコーネの心の支えは、学んだばかりの“作曲”だった。この 時に教えを請うた偉大な作曲家ゴッフレード・ペトラッシが、モリコーネの生涯の心の師となる。

卒業後、恋人のマリアと結婚したモリコーネは、生活のためにRCAレコードと契約し数々の編曲を手掛ける。クラシックの高度な作曲技法と、当時の最先端だったノイズを多用した実験音楽を取り入れることによ って全く新しいアレンジを生み出し、「編曲を発明した」とまで絶賛されたモリコーネは、ポール・アンカやチェット・ベイカーなど、人気アーティストからも指名されるようになる。モリコーネの実力は評判を呼び、やがて映画音楽の仕事が舞い込むようになる。その中の一人、セルジオ・レオーネ監督はモリコーネの小学校の同級生だったこともあり、たちまち二人は故ことを許し合う。

『荒野の用心棒』(64)の印象深い口笛の曲が、二人のタッグの始まりを告げる狼煙となった。しかし、モリコーネには、映画音楽に携わることに葛藤があった。師のペトラッシはアカデミックな音楽家にとって、商業音楽を書くことは道徳的に非難されると考えていたのだ。「自分は裏切り者だ 」と苦悩したモリコーネが、どうやって誇りを取り戻したのか。

カメラは彼の心の内側に迫る。やがて葛藤を乗り越えたモリコーネは、「製作者や監督にとって“成功の保証”となった」とジュゼッペ・トルナトーレ監督が証言する。あの異才にして巨匠のスタンリー・キューブリック監督までがモリコーネにオファーしたが、おそらく嫉妬にかられたレオーネが勝手に断ったという仰天の事実 が明かされる。どうしてモリコーネは、これほどまでに引っ張りだこになったのか?

モリコーネと同時代の作曲家ジョン・ウィリアムズや、その後を追うハンス・ジマーが、音楽的な分析を披露する。 盟友レオーネとの最後の作品となった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ アメリカ』(84)は高く評価され、「商業音楽に魂を売った」とモリコーネを無視していたかつての学友が、彼に謝罪の手紙を書くなど、音楽界の” 事件 ”となった 。

モリコーネ自身の中でも一区切りつき、彼は映画音楽を離れようと決心する。だが、そんな彼を引き留めたのも、やはり映画だった。『ミッション』(86)のラッシュを観て、純粋に心を揺さぶられ、魂を込めた音楽をかきあげたのだ。だが、確実視されたアカデミー賞®を逃し、「理解してもらえない」と傷ついたモリコーネは、自身の原点である室内楽の作曲へと戻っていく。

今度こそ本当に映画音楽と決別したモリコーネに、フェリーニ作品で 知られる名プロデューサー、フランコ・クリスタルディから依頼が届くが、モリコーネは即座に断る。ところが、強引に送られてきた脚本を読んだモリコーネは心を変える。当時、全く無名の新人監督に自ら電話をかけ、「私が曲を書こう。」と申し込んだのだ。

彼こそが ジュゼッペ・トルナトーレ、モリコーネに映画の楽しさを思い出せたのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)。 モリコーネの新たなるステージの始まりだ。

それからのモリコーネに迷いはなかった。9.11の悲劇に捧げたシンフォニー、アカデミー賞®名誉賞受賞、南米・アジア・欧州を回るコンサートでの観客の熱狂、6回目のノミネートで果たしたアカデミー賞®作曲賞受賞。最後にマエストロが、親友トルナトーレのカメラを通して、私たちに伝えてくれたこととは─ ?

予告編

予告編配信の使用許諾権:地ムービー

地域・建築ばなし・プロダクションノート

トルナトーレ監督は、プロデューサーたちに「モリコーネの関わった映画のシーンを自由に使わせて欲しい」と頼み、プロデューサーの努力によりそれが実現しています。

トルナーレ監督は「実際の映画のシーンを使わずに、『ミッション』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、それに多くのマカロニ・ウエスタンの音楽の誕生を物語ることなどできないと考えていたからだ」と説明しています。

本作の編集作業中にモリコーネは亡くなっています。しかし、トルナトーレ監督は、その事実を観客に思い起こさせるような作りにはしませんでした。

トルナトーレ監督は、その理由を「私はエンニオについて語るというよりも、彼の音楽と同じように、今も皆の中に生きているエンニオを見せたかった。」とコメントしています。

ロケ地:都市・地域・施設(建築物・土木構造物)

イタリア
ローマ:トラステヴェレ(生誕地)、サンタ・チェチーリア音楽院(卒業校)

アメリカ
ロサンゼルス:ハリウッド
ニューヨーク

イギリス
ロンドン

フランス
パリ

映画にちなんだもの

映画音楽、RCA、トランペット、楽譜、メトロノーム、舞曲、対位法、編曲、西部劇、セルジオ・レオーネ監督、サンタ・チェチーリア音楽院、ゴッフレード・ペトラッシ、フラッター奏法、サウンドトラック、実験音楽、楽器、口笛、空き缶、鞭、鐘、マカロニウエスタン、具体音楽、交響曲、パンフルート、オスカー、室内楽、絶体音楽、不協和音、12音技法、ハリウッド、現代音楽

本編登場作品(全51登場作品のうち一部):
映画「夜の声」「ファシスト」「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「革命前夜」「続・夕陽のガンマン 地獄の決斗」「1900年」「天国の日々」「天地創造」「ある夕食のテーブル」「ウェスタン」「シシリアン」「カニバル」「時計じかけのオレンジ」「死刑台のメロディ」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「ミッション」「アンタッチャブル」「海の上のピアニスト」「ニュー・シネマ・パラダイス」「Uターン」「ヘイトフル・エイト」、他

キャスト

エンニオ・モリコーネ、クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノ、ウォン・カーウァイ、オリバー・ストーン、ハンス・ジマー、バリー・レビンソン、ジョン・ウィリアムズ、ダリオ・アルジェント、ジュゼッペ・トルナトーレ、テレンス・マリック、ブルース・スプリングスティーン、ベルナルド・ベルトルッチ、ジェームズ・ヘットフィールド、クインシー・ジョーンズ、ローランド・ジョフィ、リナ・ウェルトミューラー、フィル・ジョアノー、他

スタッフ

作品データ

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サンタ・チェチーリア音楽院
サンタ・チェチーリア音楽院

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