海辺の生と死

鹿児島県瀬戸内町・奄美市(加計呂麻島・奄美大島)

作品概要

(C)2017 島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ

傑作「死の棘」を世に放った島尾敏雄と、その妻、島尾ミホ。時は太平洋戦争末期、ふたりが出会ったのは、圧倒的な生命力をたたえる奄美群島・加計呂麻島。男はじりじりと特攻艇の出撃命令を待ち、女はただどこまでも一緒にいたいと願った。後年、互いに小説家であるふたりがそれぞれ描いた鮮烈な出会いと恋の物語を原作に、奄美大島・加計呂麻島でのロケーションを敢行し、映画化を果たした。また、奄美群島で古くから歌い継がれてきた奄美島唄の歌唱指導にあたったのは、“クジラの唄声”で人々の心を魅了する唄者(ウタシャ)朝崎郁恵。自身もルーツを奄美大島に持つ満島ひかりが歌う島唄の調べが、観る者の心を揺さぶる。

2017年7月29日公開
上映館案内
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ストーリー

昭和19年(1944年)12月、奄美 カゲロウ島(加計呂麻島がモデル)。国民学校教員として働く大平トエは、新しく駐屯してきた海軍特攻艇の隊長 朔中尉と出会う。朔が兵隊の教育用に本を借りたいと言ってきたことから知り合い、互いに好意を抱き合う。島の子供たちに慕われ、軍歌よりも島唄を歌いたがる軍人らしくない朔にトエは惹かれていく。やがて、トエは朔と逢瀬を重ねるようになる。しかし、時の経過と共に敵襲は激しくなり、沖縄は陥落、広島に新型爆弾が落とされる。そして、ついに朔が出撃する日がやってきた。母の遺品の喪服を着て、短刀を胸に抱いたトエは家を飛び出し、いつもの浜辺へと無我夢中で駆けるのだった・・・。

地ムービーポータルサイト:予告編ページ

地域ばなし

奄美大島・加計呂麻島でロケ撮影しています。一番多くロケ撮影した場所は奄美大島です。(加計呂麻島より多い。)

撮影は、全てロケーションで、奄美大島・加計呂麻島に現存しているものを使用しています。(スタジオセットは一つもありません。撮影で、制作したのは、「震洋」一艇と塩焼小屋だけです。)

島を雰囲気を大切にロケ撮影されています。例えば、鳥が鳴いたり虫が飛んだりし始めるまで少し待って(島の時間が戻ってくるのを少し待って)カメラを回しています。

奄美島唄の第一人者・朝崎郁恵さんは、花富(ケドゥミ)集落の人で、神女(カミジョ)が神様に唄いかける歌を聴いて育っています。

奄美島唄は、同じ唄でも、地域によって歌詞が違います。(劇中の「朝花節(アサバナブシ)」は押角集落の歌詞です。)

太平洋戦争の時代、奄美大島では、北と南で言葉が通じないほど、違いがありました。

劇中には、中央アジア、蒙古、トルキスタンの砂漠などの地名(地域)が出てきます。

ロケ地

鹿児島県 奄美市:用安集落 瀬戸内町:渡連集落、安脚場集落、押角集落

映画にちなんだもの

猿カニ合戦、九州帝国大学、東洋史、曲:われは海の子、曲:同期の桜、ユリ、タバコ、マッチ、おたまじゃくし、カニ取り、ハマユリ、イモ畑、フクロウ、

支援

協力:
奄美市、瀬戸内町、かごしまフィルムオフィス、奄美リゾートばしゃ山村、奄美市奄美博物館、鹿児島県立奄美少年自然の家、奄美大島観光物産協会、奄美ポートタワーホテル、竹山産業開発株式会社、奄美看護福祉専門学校、奄美テレビ放送株式会社、あまみFM、瀬戸内ケーブルテレビ株式会社、NPO法人 島尾敏雄顕彰会、童子八月踊り研究会、安美佳 琉球舞踊道場、SCOFITS 坪山船大工店、民宿ゆきむら、海宿5マイル、民宿結の家、古仁屋八月踊り保存会、アイショップ瀬戸内店、奄美群島フィルムコミッション設立準備室、用安集落会、渡連・安脚場集落の皆さん、NPOアマミーナ、郷土料理かずみ、瀬戸内町立図書館・郷土館、他。

キャスト

満島ひかり、永山絢斗、井之脇海、秦瀬生良、蘇喜世司、川瀬陽太、津嘉山正種

スタッフ

作品データ

ゆかりの地図

加計呂麻島押角集落
28.120286,129.266528

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