HAZAN

茨城県筑西市・笠間市・東京都田端

作品の概要

かつて 美しき 日本人が いた。 土と、火と、自然と向き合い、美を追究した陶芸家、板谷波山の生涯を綴る、映像美溢れる作品。

『地雷を踏んだらサヨウナラ』、『みすゞ』など、実在の人物描写に定評のある監督五十嵐匠が、ストイックなまでに理想を追求する男とそれを支える女の夫婦愛を鮮烈に描きとる。しかし印象的に写しとる。
その姿は時代を超えて、信念を持つ人間の厳しさと美しさをつたえるだろう。波山の故郷・茨城県で撮影された美しい映像にも注目したい。

「HAZAN」
(C)桜映画社

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2014年12月19日終了
TSUTAYATV

ストーリー

明治36年、夏。窯に燃えたぎる炎を見つめる、ひとりの男がいた。
将来を約束された美術教師であった彼は、岡倉天心に思想的影響を受け、幼い頃に見た美しい陶磁器を自らの手で作ってみたいと強く思うようになる。
そして教職を辞し、すべてを投げ打った彼は、陶芸に自らの生涯を捧げる決心をし、東京に小さな新居を構え、創作活動を始める。 やきものを芸術の域まで高めたと評される孤高の陶芸家、板谷波山の誕生である。

陶芸家初の文化勲章受章、近代陶芸唯一の重要文化財指定など後に数々の栄光を手にすることになるが、板谷波山が辿った軌跡は、決して平坦なものではなかった。
満足のいく作品が出来ずに窯にくべる薪にも不足する貧しい生活が続く。
しかし、波山は、自身の作を批判されても、家計が逼迫しても、自分を信じ続ける。
一方、妻のまるは金策に資材調達にと苦労の連続。そして彼の夢を誰よりも信じ希望の火を灯し続けた妻・まるの愛が、波山の作品に命を吹き込むのだった。
やがて、彼は、その研究の集大成となる「葆光釉(ほこうゆう)」という釉薬を究める。 ある日、波山の作品に魅せられたという若き実業家が波山の前に現れ・・・。

地域ばなし

板谷波山没後40年を迎えより多くの人々が波山の素晴らしさを茨城から発進しようと企画された映画で、茨城県民あげての作品です。
作品には地元でのオーディションで選ばれたエキストラさんたちが多数出演し、撮影中も多くの地元ボランティアの方々がスタッフとして活躍されています。
いばらきフィルムコミッションの全面協力第1号の映画として、県内でロケが進められたことも、この映画ならではの取り組みといえるでしょう。

地域でおこったエピソード

・ロケ地を誘致し、HAZANの撮影を通して「芸術文化によるまちづくり」を試みようと立ち上がったのは友部町。 東京田端の波山邸を友部町に復活させるべく、町長自らロケハンに走る。
波山邸へと続くなだらかな坂道を探す。合言葉は「だらだら坂を探せ!」 しかし何か所も上げた候補地は今一つ魅力がなかった。
町の隅々まで巡り歩いてほとほと疲れた夕暮れ間近、町長が最後に案内したのが、今どき茨城でも珍しい棚田と 細い道が緩やかなカーブを描いてなだらかに広がっている集落。
後日、美術監督も交えてこの地を見学、ここに波山邸を作ろう、と決定。 かくして友部町に明治の田端が再現されたのだ。

・波山の家や窯も地元の大工さんが作っています。
慣れた住宅建築とは違いますが、美術監督がひいた図面をもとに撮影用のオープンセットをわずか10日で仕上げました。

・映画をよりいっそう身近に感じてほしいという意図から、幼少期の波山、5人の子ども、教え子役、製作スタッフを、県内から募集しました。
わずか3週間の応募期間にもかかわらず、6ヵ月の赤ちゃんから78歳のおじいさんまで約500名からの応募がありました。
製作委員会事務局の電話は、毎日朝から夜更けまで鳴りっぱなし、担当者は席をはずす余裕さえなかったとか。

・撮影現場は、通常は一般の方をシャットアウトするのですが、『HAZAN』の場合は、なるべく地元の人たちも見られるようにと、異例の調整がされ、みんなで映画の製作を盛り上げました。

・下館市羽黒神社での祭りのシーンのハッピは、下館で公募されたボランティアの女性たちが、1日で80着を縫い上げた苦労の賜物です。
明治期のお祭りで実際に使われたハッピが見つかり、映画撮影においても史実に基づいてお祭りを行おうということになり、そのデザインを再現しました。

・下館市羽黒神社での祭りは、毎年夏にしか見られないものですが、伝統ある神輿を今回の撮影のために、特別に出していただけることになりました。
1トンはある神輿を担ぐのは、下館の「伊達組」の皆さん。その他、羽黒神社の氏子総代の皆様。 祭りの見物客として、下館市をはじめ県内各地からさまざまな年代の人々200人以上のエキストラの皆さんが、朝5時から境内に集まりましたが、皆、素足に下駄、夏の浴衣という格好で寒さに震えながら、本番を待ちました。
たいへん盛り上がったこの祭りのシーンは、大人数の一大ロケとなり、下館の皆さんの熱い心持ちが現れました。

・製作発表も茨城県庁で開催されています。(2003年2月5日)

・ロケ地の友部町では、上市原公民館が、役者さんの控え室となりました。
部屋はたったひとつ、間仕切りもない。 そこで、榎木さん、南さん、そして子役たちが実の親子のように、楽しい時間を過ごしていました。
純粋な子どもたちの姿を見るたびに、自然な演技の素晴らしさを教えられたと、榎木さんは語っておられました。
子どもたちも、榎木さんをおとうさん、南さんをお母さんと慕い、実の親子のようにあるいはそれ以上に素敵な家族として一ヶ月を過ごしました。
ロケの最終日には、家族との別れが悲しくて、菊男君は、ずっと泣きっぱなし。 知り合うまでは全くの他人であった人々が、映画を通してあたたかい家族になりえたのでした。
今ではなかなか見られなくなった、日本人の古き良き家族のあり方がそこにはありました。

・いよいよ茨城での撮影もクライマックス。 桜の木の下で、波山が生活のために作った焼き物「飛鳥山焼」を、まると子どもたちが売る。
でも花見客は見向きもしない・・・というシーンを撮りたいのに、なかなか桜が咲かない!
桜前線はとっくに茨城を北上しているのに、その桜は実はソメイヨシノではなかったのです。
毎日のように、咲かないか、咲かないか、とかたいつぼみを見上げるスタッフ。
結局、撮影は、2回も延期することに。このまま桜は咲かないのか?・・・そしてついに・・・あたたかい、でも風の強い日、やっと咲いた桜は、もう花びらが吹雪のように風に舞って、花見に酔う客、飛鳥山焼を売る波山一家。
晴れやかな中にも悲しみが漂うシーンが、無事に撮影されました。
撮影終了後、その日が最後の出演となった南さんに、スタッフから花束が贈られました。
一か月間、まるを演じ切ったという達成感を感じさせる、晴れやかな笑顔でした。

・友部町上市原地区のオープンセット(工房・茶の間・窯)は、北山公園内に移築保存され公開されています。

・3月21日、深夜に台風のシーンの撮影。散水車が波山邸のオープンセットに横付けされ、大量の雨を降らす準備をしました。
3月とはいえ、上市原の夜は寒く、水を出して10分もしないうちに、つららができてしまうような状態。
スタッフは皆、カッパに長靴、覚悟はできていました。
さて、それまで淡々とリハーサルをこなしていた南さんは、「ハイ本番!」のかけ声と共に、突然、バケツ一杯の水を頭から勢いよくかぶり、スタッフたちのつくり出した暴風雨の中に突撃していったのです。
その鬼気迫る演技に、一同、寒さも忘れ唖然。 今回は、「静」の波山に「動」のまるが対照的し、しかも美しく描かれています。
こういった俳優精神がこの映画にいきいきとした生命感を与えています。

映画のストーリー上の舞台

・茨城県下館市(板谷波山の出身地)
・石川県立工業高等学校(卒業後に教諭)
・東京都北区田端(明治時代、東京の田端に波山邸はあった)

「解説:板谷波山とは?」
茨城県下館市生まれ。東京美術学校(現東京藝大)に入学し彫刻を学び、岡倉天心らの薫陶を受ける。卒業後石川県工業学校(現石川県立工業高等学校)教諭、東京高等工業学校(現東京工業大学)嘱託教諭を経たのち、陶芸家として独立、郷里の筑波山にちなんで「波山」を号とする。 陶芸家として初の文化勲章を受章し、横山大観とともに第1号の茨城県名誉県民となるなど、その功績は広く伝わっている。

ロケ地

・茨城県下館市(現:築西市、波山の故郷)
・羽黒神社(祭り)

(板谷波山の故郷・下館は、「波山」の号となった筑波山のふもとに広がる田園地帯の中心に位置する。穏やかな気候で水と緑に囲まれ、伝統と文化を大切にする下館は、古くから商人のまちとして栄えてきた。今もその名残がまちのそこかしこに見て取れる。波山は、田端から筑波山を眺めては、しばし故郷へ思いを馳せていたという。波山が石川から東京に出てくる際、下館に戻り、祭りを見物するシーンの撮影では、その伝統ある大神輿を特別に出していただき、迫力あるシーンを撮影することができた。)

・笠間市(冒頭の登り窯、石川県で現田が働いている窯元)

(鎌倉時代より城下町として、また笠間稲荷神社の門前町として栄えてきた文化の薫り豊かな笠間市は、全国でも有数のやきもの・笠間焼でも有名。冒頭の登り窯のシーンや、石川で現田が働いている窯元のシーンなどに見られるように、ここには古い窯が多く残っている。)

・水海道市(「やきものやになる」とまるに打ち明ける)

(水海道市は、関東平野のほぼ中央にあり、水と緑に囲まれた平坦で温和な土地。石川で教べんをとっていた波山が「やきもにやになる」とまるに打ち明けるシーンで、家族をもてなした料亭「北間楼」の撮影は、国指定重要文化財の坂野家住宅で行われた。その他、多くの歴史遺産を市内各所に残している。)

・友部町・上市原地区(明治期の東京・田端を再現)

(茨城のほぼ中央に位置する友部町。交通の便がよく、活気ある町づくりをすすめている一方、まだ豊かな自然がそこかしこに残っている。メインロケ地となった上市原地区は、なだらかな棚田があり、夜は月や星がとても美しい、空気の澄んだ場所。そこに明治期の東京・田端が再現された。抜けるような青空、目に鮮やかな植物の美しさがフィルムにおさめられている。また、町の中心部には茨城県旧畜産試験場があり、古い木造建築が良い状態で保存されている。HAZANでは、東京高等工業学校の教室へと変身した。)

・その他、茨城県岩瀬町、七会村、真壁町でも、ロケが行われた。

映画にちなんだ料理・商品など

・板谷波山の壺を形どった下館銘菓「壺最中」

・茨城県筑西市(旧下館市)出身の陶芸家、板谷波山の鳩杖をかたどった「鳩杖最中」
(陶芸家としての初の文化勲章を受章した板谷波山が陶芸創作の傍ら、80歳になった方に鳩杖を贈呈し、平和と幸せを願っていたことにちなんでいるという。下館の和菓子屋さんでは、それぞれ中の餡を変えて、作っています。)

支援

協力:茨城県、茨城県友部町、茨城県下館市、出光美術館、板谷波山記念館

撮影協力:茨城県水海道市、茨城県笠間市、茨城森林管理署、茨城県陶芸美術館、東京工業大学、東京藝術大学、石川県立工業高等学校、茨城県工業技術センター窯業指導所、茨城県立あすなろの郷、東京都北区(財)北区文化振興財団、福島県会津坂下町、茨城県岩瀬町、茨城県七会村、塚田歴史伝説館、大井川鉄道、陶談会、弘経寺、久野陶園、下館市荒為、富谷観音小山寺、下館市羽黒神社、友部町如意輪寺、愛友園、イイダ、伊勢屋旅館、イタヤエナジー、奥順、金澤美術、川瀬アートセラミックス、恵石書道院、小伊勢屋、五光物流グループ、下館芸術実行委員会、昭和産業グループ、伊達組、十里木高原工房、羽黒神社氏子会、ビジネスホテルふじぬま、広澤グループ、広瀬印刷、富士通アクセス、ベル・デ・ベル、吉平美術店、旅館金福 ≪支援団体≫ いばらきフィルムコミッション、映画波山友部支援の会、映画「HAZAN」支援ネットワーク・下館、映画「HAZAN」県南支援の会、映画「HAZAN」益子支援の会、映画「HAZAN」茨城県庁支援の会、HAZANサポーターズクラブ・カシマ、映画波山水戸支援の会、ほか。

映級グルメ

下館銘菓「壺最中」(つぼもなか:地元オーディションの当日、下館の女性陣が差し入れたのが、板谷波山の壺を形どった「壺最中」です。面接を待つ皆さんもホッと一息。かくして無事にオーディションが終了したのでした。)

キャスト

榎本孝明、南果歩、康すおん、柳ユーレイ、寺島進、長谷川初範、大鶴義丹、益岡徹、中村嘉葎雄、加瀬亮、田中美里(友情出演)、 飯島大介、大平奈津美、花悠子、岸本功、宮本大誠、篠田薫、マキタスポーツ、濱田和幸、早川純一、福元崇人、瀧口穂高、市毛亨典、菊次祐紀、橋本勇樹、秋川正佳、高橋慶輝、斎藤周太郎、飯沼幸一、片山充、坂本和也、佐藤明伸、渋谷優紀、多川裕、田上晃吉、徳山聖治、間々田理恵、安武佐和子、荒川順子、江田和輝、江花渉、太田圭介、皆塚和昭、川上好孝、川畑玲子、北嶋大志、小林征児、小峰輝美、近藤全広、榊麻美子、佐藤八郎、竹山和之、田原勲、戸田浩二、中根智寿、広木恵利菜、三浦彩子、三浦次郎、村田容子、友部町の皆様、下館市の皆様、茨城県の皆様、ほか。

スタッフ

作品データ

ゆかりの地図

茨城県友部町上市原 茨城県笠間市
茨城県笠間市 上市原1822
茨城県笠間市
茨城県筑西市下館 東京都・田端
下館駅(茨城)
田端駅(東京)

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